寒中見舞い申し上げます

この金曜日まで、精神科を実習。おそらく一生の仕事となるであろうこの科に首をつっこんだ。
患者の話を聞くことはできているなと思う反面、本当に知りたい情報を引き出すためのコミュニケーションが全くできていなくて向いていないのかもな、という手ごたえを感じた。


精神科疾患の発症には遺伝的生物的脆弱性に加えて家庭環境、とくに親の影響が大きいと感じた。どの精神科単科の病院に行っても感じた。

今私は子育てをしているが、妻と、その他色々子育てに関わる人との意見がぶつかりあうことは多い。

現代において子育てをしている世代で、戦前のようにたくましく1本の筋が通った人間は少ないようにおもう。

テレビにはバカ番組が溢れ返ることが象徴しているように、現代人の生活はうわべだけの明るい、無暗に笑って過ごす内容の無い生活が求められているように思う。

何でこんなになっちゃったのか、は文化とか、社会とかについて詳しくならなきゃいけないので追々勉強するが結果としては個人主義個人主義っつってみんな子供のように自分の都合で生きてくようになってんだな、と考えた。

空気が読める読めないという言葉が流行っているけどそんなこといってるやつなんて何も考えていないだけだ。



最近実習班やクラスメイトを観察して、人間としてよくないなぁ幼いなぁと思うことがよくあって、直してしまいたいなと思うがそいつらの個性とか考えるとほっとくのがいいかと思って流しているが。中学・高校時代にそういう働きかけを私にしてきてくれた友人が何人かいたが、そいつらは私のことをよく考えてくれているともとれるし、自分の考えを押し付けたい青二才ともとれるし、いずれにせよ中々良い青春という一言で、片づけられるのかもしれないが、周りにいたやつらは特殊な環境からか、かなり大人になるのが早かったのだと気がついた。社会に適応できているかは定かではないがやはり物事をよく考えて観察しているやつが多かったことに気付かされた。

私はあえてボール球を振るバッターのように敢えて相手の期待を裏切るように振舞っていたが、実習というこれまた
特殊な環境で過ごして今までわざと見過ごしてきたことが目立つようになった。こんなことで悩むこと自体が当時の周りの高校生と同レベルなのかもしれないが、それにも達していない人間があまりにも多いのは一つの専門的な社会において、困ることだなとヤキモキしていたら、先日の病理の時間において、准教授が説教してくださった。真面目に聞いていた人はかなり少ないと思われるが、ほんとうにたくましくなることが必要だと感じている3月には、丁度良いお話でした。

本当は雛祭りシーズンということもあって、7年前に深夜バスケをしていて補導された回顧録でも書きたかったけれどもこんな感じの青臭い文章を書いてみた。明日は厚木で試合。再来週は八王子オープン。がんばれおれ。